視座の違いでまた凹んだ話…人と比べることはやっぱり意味がない

視座の違いでまた凹んだ話…人と比べることはやっぱり意味がない
視座の高さの違いに凹むこと
定期的に私の元に訪れます
 
みなさんはどうですか
 
結局は自分を人と比べることをついしてしまうから
起きることなんですよね
 
人と比べてもしょうがないって思ってるはずなのに
ついしちゃう
 
比較をバネに奮起できる人は、それも良いかもしれませんけど…
私はちょっと無理みたいです………
 
 
 
ひまわりの様な明るさと言われますが、それなりに凹んでますw
 
 
 
ちょっと前にまた視座の高さの違いに苦しくなっていたのですが
結局人と比べていたことに気がつきました
 
自分よりもとっても実績を出している人
そう…社会的にも影響をバンバン出している人と比べて
何もできてない自分が不甲斐なく
息がつまるほど苦しくなっていました
 
昨年はそんなこと微塵も思わなかった人と
自分をおこがましく比べていました、笑
 
 
 
 
 
 
 
そこでまた気がついたのは
(というか思い出したのは)
それぞれのの強みが違うということ
 
社会的に大きな影響を与える仕事をしている人は
その強みを最大限に生かしているからに他ならない
 
私にしかない強みをいくつか落ち着いて
書き出している間に
今までまわりの人にもらった
たくさんの褒め言葉を思い出して
 
スーと
それはそれは大きかった胸のつかえが
取れていくことを感じました
 
 
 
はースッキリ
 
 
視座が低いか、高いか
ということを
どちらが優れているか、劣っているかに
すり替えてしまうから苦しくなってしまう
 
もちろん視座を高く見れると大きなコトを変えていける
でも結局は自分がどこを助けたいか
何を解決したいかによって求められる視座の高さは異なるとも思う
 
モヤモヤするのは
きっと自分ももっと高く視座を持ちたいという思いの表れなんだけど
それを人と比べているのは意味がない
過去の自分と比べて成長していることの方がよっぽど大事ですよね
 
昔はそんなすごい人たちと
自分を比べることさえもなかったのですが
その背中を追って自分で歩み始めたことで
歩いても歩いても
遠くに行ってしまうその背中を追うのが
苦しくなってしまったのだと思います
 
 
 
 
 
 
 
悩みまくっていた時に
以前考えていたことと
今の悩んでいることが
大きく変化していることに気がつきました
 
少しだけ成長をしていることを実感でき
辛かったこともすっかり忘れて
少しだけ嬉しくもなりましたw
 
人はらせん状に成長していく
また同じ悩みに突っかかることが
この先もきっとあると思います
 
でも
比べるのは、いつだって、そう、自分の過去にしよう