置かれた場所で咲きなさい、が嫌いだった話

「置かれた場所で咲きなさい」
っていうタイトルの
とっても売れた本を覚えていますか?
私はそのタイトルが
めちゃくちゃ嫌いでした。
最初に一眼みた時に
足るを知る
贅沢するな
欲を出すな…
みたいな印象を受けたから。
発売当時、離婚でどん底だっただけに
この題名を本屋さんや
電車内の広告でみるたびに
はぁ!?
こんなとこで咲けないんだけど
勘弁してくれよ…
と思っていました。
まぁどれくらい敬遠してたかというと
本を読んでないくらいw
だから婉曲して捉えてる可能性も…(ごめんなさい)
その前提で話すのですが…www
ようやく最近
この言葉の意味がわかった気がします。
(繰り返すしますが、著者の意図通りに
捉えていない可能性も十分ありますw)
私が思うこの言葉の
本当の意味とは…

ひとにはそれぞれの役目や使命がある
だから、それを受け取って認め
花開かせていくことが
自分の幸せであり
この世界の幸せにつながる
ってことなのかなぁと。

この肉体という器をもらい
この外見や頭脳を備えて
このセンスが良いものが好きな嗜好を持ち
このスキルセットを備えて
私がこの世に生まれたからには
意味がある。
そう思えるようになれました。
私の好きな起業家、著者である
小田桐 あさぎさんは
あさぎさんがやるべきことを
「神の押し付け」
と表現していたのだけど
この押し付けは
あさぎさんだけにあるものでなく
一人ひとりが押し付けられてる
何かが必ずあると思っている。

役目や使命や才能や
それにつながる
「なにか」を押し付けられている。
こう書くと【特別なもの】
に見えるかもしれないけれど…
ネガティブに捉えられそうなことも
実は押し付けだったりする。
私なら
離婚したという事実も
ビジネスをしたいと思いつつも
踏み出せなかった4年間も
ビジネス開始後になかなか
月商100万円の壁を超えられずに辛かった期間も
全て押し付けなんだと思う。

こんなふうに
押し付けられたものは
自分の望んだ形ではないかもしれない。
いや、望んだ形には
その時は見えないかもしれない。
時には
隣の人の押し付けを
羨ましく思うかもしれない。
でも、こういう
1人ひとり違う押し付けを
されているからこそ、
この世界はより良く発展してきたんだよね。

自分のネガティブに見える経験が
あるからこそ
同じく悩む人を救えるし
うまく行った経験があれば
それはそれで役立てる。
結局すべての経験は
押し付けで
その押し付けは
自分の役目や使命、才能を
気づかせるためのものなだけ。
そして、その役目や使命を受け取り
花開かせて生きることが
自分の幸せとなり
まわりの人の光になり
世界の光になる。

この世の中に
こんなに多様なヒトや生き物が
存在するのには意味があるからなんだよね。
もし、世の中が
私のコピー人間ばかりなら
家事がダメで
お金の管理もできなくて
まーまー壊滅的な世界になるw
だから
それぞれの性格がスキルセットや
人生そのものが
画一的でないことには意味がある。
できること、と
できないこと、が
あることに意味がある。
だとしたら
私たちがやるべきことは
自分の凹凸を出していくこと。
無理してスムーズな
綺麗な形になろうとしないこと。
そうすれば、
自分というパズルのピースが
ちゃんとハマる場所に生きられるから。

この自分がちゃんとハマる場所で
生きられることこれこそが
【置かれた場所で咲くこと】
なんじゃないのかな
と最近気づいたのです。
こんな気づきを経て
一周回って
大嫌いだった言葉が
なんだかいい言葉なのかもな〜
と思えるようになりました。
ちなみに
無理してスムーズな形になろうとすると
偽りの凹凸を持った
自分というピースがハマる場所で
生きることになるので
めちゃくちゃ辛くなります。
まぁそれが、昔の私ですけど…
日本の教育に順応してきた人間なので
間違った場所に咲いちゃって
しんどくなっちゃったんですよね
同じようにしんどいな〜
と感じる方がいたら
「良い人」や
「満遍なくできる自分」を演じて
咲いている場所が間違えていないか
振り返ってみると良いのかもしれないです